2012.5.17 レンタルBOXの利用開始 実験段階ですが・・・。
2012.5.5 コミティア100 『コール氏と彼のなくならない荷物』リリース 久しぶりのオフセット印刷、そして初の二色印刷表紙。 『メメントモリ』がティアズマガジンに掲載 100回記念のペーパーラリーに参加するため、決められたサイズであるB5両面でフリーペーパーを作った。 ティアズに載ったメメントモリへのコメントを受けての内容になった。 仕事が忙しかったので、サイト告知は間に合わなかった。ブログでの告知のみ。
2012.2.5 コミティアXV 100回目直前の特別企画で99と併催したコミティアXのほうに参加しました。 リポートは公式サイトのこちらにあります 実はうちのブースも写真が載っています。 文化祭的な感じだったので(デザフェスみたいな)ノリノリで参加しようと思ったものの、気がついたら申し込み締め切りが迫っており、ものすごく焦って申込書を書くことに・・・ しかし、その時点で企画概要を書かなくてはならず、まだろくに考えてなかったので、仕事の合間にぼんやり思いついたことをそのまま書いた。 それが「星の中に豆本埋めておくので釣りに来てください。」 そしてその後もまったく企画を練り直す時間もなく、新しく浮かんでもこなかったので、最初に書いたアイデアで突き進んだ。 正直、本気でつらかった・・・さすがにしばらくもうコピー本はいいわ・・・ってぐらい、大変だった。ほんとに大変だった。なぜこんな企画考えたし自分。 リポートは長くなるので、別のページにまとめるか、ここにあとで付け加えるかします。 『メメントモリ1』 『メメントモリ2』 『メメントモリ3』 『メメントモリ4』 『Romantic』計5冊リリース すべて小さなコピー本で、釣りの景品とできるボリュームということで作成。
2011.10.30 コミティア98 『11月の砂糖菓子』リリース 新刊が足りなくなり、売り子してくれた方が、ビッグサイトのコピーサービスのところで追加で作りに行ってくれて、行動力にびっくりした・・・ フリーペーパーについてはもうネタが出てこず、いつもはA4二つ折りで4Pのペーパーだったところを、この回はA5両面で2Pのボリュームになった。 サークル「さよならさんかく」のここのつさんの本を委託。 コミティアでは別名義でイラスト本を出しているが、実はJ-GARDENで漫画を出していると知ったので、無理やり委託させた。 うちはずっと青年ジャンルなんですが、「BL」という文字に惹かれて手に取る方が多かったのは興味深かったです。 なお、名前が同じなのは偶然で、私がカタカナ、この方はひらがなです。ここ大事です。
2011.8.21 コミティア97 『fetish fetish』リリース 川岸千鶴(雨折)さんとの合同本で、隣接スペースを取った。 千鶴さんはコミティア初参加で、オリジナルも初めてだったので、お試し版のようなものにした。 というか、ちょっと時間なくてこのボリュームになった。 フリーペーパーはいつもどおりのものを出した。
2011.7.3 Travellers13 福島県のイベント団体ADV企画が一年に一回開催しているオリジナルオンリーイベント。 郡山で開催された。 当時、大型イベントを開催できる会場であるビッグパレットが避難所になっていたので、ADV企画のイベントはほとんど延期や中止に追い込まれ、このままではつぶれてしまうかもしれないという懸念から、応援したいということで中村代表にお誘いを受けた。親戚一同郡山だったので、ノリノリでOKした。私だけ当日の朝、東京駅で大量の東京ばななを買った。 『暑中お見舞い申し上げます』リリース しかしノリノリだったくせに時間がなかったため、非常に中途半端な出来のコピー本になった。 出発直前まで書いてたがトーンが間に合わず、私は新幹線に乗るべく家を出たが、友達がその続きを塗ってくれて、できたものをネットプリントで送って郡山のセブンイレブンで私が受け取るという荒業をやった。中村代表は「便利な時代になったねえ・・・」みたいなことをつぶやいていらした。 そんな感じで頑張ったけど・・・やはりガッカリクオリティでしたすいませんでした・・・ この本は実はこれ以外で出したことはないです。いずれ書き直して出す予定。 当日の会場での私は、スペース留守にして買い物ばっかりしてました。面白い方がけっこういらした・・・ 私は同人デビューしたイベントが最初から大きかったので、この規模は非常に楽しかったです。 ビンゴも・・・燃えた・・・
2011.5.5 コミティア96 『OLD WOLF JOHN』リリース フルカラーの小さな蛇腹本で、作るのが異常に大変で、正直こんな形態の本にしたことを後悔した。数も足りず・・・ 3月に起こった東日本大震災のチャリティ本として扱いました。 この回で初めてはがきなど作ってみました。本来ならこっちをチャリティにすればいいのかもだったんですが「私の絵なんぞ売れんだろ・・・」と思ったので、本の方をチャリティに回した。 そんなことを言った後で言いづらいんですが、緑陽社のチャリティ企画でポストカード用に絵を提供しました、というかいつかのチラシ絵の使い回しです。 今もこちらはチャリティとして売ってます。 コミティアなどで緑陽社のブースがあったら、覗いてみてください!
2011.2.13 コミティア95 『bon bon au chocolat』リリース コンビニ出力の簡単な作りのコピー本だった。だが表紙だけはフルカラーにした。 これで燃え尽きたので、フリーペーパーはなかった。
2010.11.14 コミティア94 新刊なし 疲れきった様子のフリーペーパーのみで参加 「当日の朝9時にこれ描いてます」「次回こそは新刊出します」ぐらいの短い文章しか挨拶は書いてなかった。 この回から、サイトをサイトとして稼動させることをあきらめてしまったところがあり、サイト名とサークル名を同じにして、トップページの上部でペースNo.を知らせる形態にした。 何やらこの時ののサイトデザインからは、当時のストレスとかいろんなものがあふれ出していた・・・
2010.8.29 コミティア93 新刊なし ティアズマガジンの余りスペースのカットを描いた。 フリーペーパーはそれに連動した内容になった。 フリーペーパーからは「新刊なくてもいいですよね!」みたいな開き直りが伺える・・・。 この日、「〜うさぎの家」の在庫がなくなり、傷モノと見本用を買っていった方がいらした。 たぶん心身疲れてたはずなんだけど、このことはよく覚えています。励みになりました。 このときはスペNoを知らせる画像を作る元気はきっとなかった(残っていない)
2010.7月頃 携帯コミック配信 『ストーリーテラーとうさぎの家』を携帯コミックにしていただきました。
2010.5.4 コミティア92 『notch chips 1』リリース その後、シリーズとして継続して出すつもりだったが、直後から色々あって長期にわたるスランプに陥った。
2010.2.14 コミティア91 既刊とフリーペーパーのみの参加。バレンタインだがチョコも持っていかずスペースで疲れ果てていた。 むしろ男性に手作りお菓子の差し入れをいただいた。そしてそのクオリティが半端なくて驚愕した。 ここからこういう画像でスペースNo.を知らせることを始めた。 この回で配布された緑陽社のチラシ絵を描いた。 フリーペーパーも連動した内容にした。
2009.11.15 コミティア90 『ストーリーテラーとうさぎの家』とインタビューがティアズマガジンに掲載。 だがしかし、本人は家族が新型インフルエンザ発症したので、当時、死者も出て警戒する風潮が強かったので、大事をとって欠席。 友人の協力で、スペースにはフリーペーパーと既刊の立ち読み数冊を置かせていただきました。 ほぼ更新のなかったサイトだったが、せめて告知だけはしっかりやった、気がする。 前回、同時に見本誌提出していたが、実は地味に「地球調査報告書」の方が「〜うさぎの家」より得票数が多かったらしかった。
2009.10月ごろ 携帯コミック配信 『鼻の奥で迷子』を携帯コミックにしていただいた。 電子書籍には興味がなかったが、即売会とは客層がまったく異なるということだったので承諾した。 そして確かに、まったく異なるようで、コミティアに来るようではないいろんな方からメールをいただき、励みになりました。 ありがとうございました。
2009.8.23 コミティア89 『ストーリーテラーとうさぎの家』リリース 繁忙期だったので無理かと思ったが頑張った・・・。 『地球調査報告書』『がんばれがんばれ』はこの時初めて見本誌として提出。
2009.5.17 COMIC CITY大阪74 『地球調査報告書』『がんばれがんばれ』リリース。 プチオンリー「コピー本博覧会」に参加のため、大阪まで行った。 前日のホテルにでかいホチキスやカッターシート持ち込んで朝まで製本してた。 面白い催しでした。
2009.5.5 コミティア88 新刊出せず。 敗北感いっぱいでフリーペーパーだけ持っていった。 ここからA4二つ折で今の形式が固まった。 『鼻の奥で迷子』再版したが、価格を若干あげさせてもらいました。すみません・・・。 初版のとき、描いてる最中「こんな漫画誰も読んでくれねえよ、ううう・・・」と思い込んで安くしてしまって、首が絞まったため・・・。 朝、スペースでペーパー切ってたら指を切ってしまい、困っていたら隣の方がさりげなく絆創膏をくださった。ありがとうございました・・・!
2009.2.15 コミティア87 二回目の参加 『鼻の奥で迷子』がティアズマガジンに掲載 すんごくありがたかったです・・・! 初めてフリーペーパー作成。B4八つ折で文字量が多かったが、漫画を載せることにはこだわった。 以降、漫画が載らないならフリーペーパーは作らない方針。(※チラシはチラシ) 苔さんの本とポストカードを委託
2008.11.16 コミティア86 オリジナルのイベントに初参加。 『鼻の奥で迷子』リリース サイト告知で「この日は一人で参加です。 スペースに見本誌残してフラフラして、たまに売る気を見せるぐらいのやる気のなさでいこうと思っています。」 というグダグダ具合を最初から見せていた。 長く続けるためにも肩の力を抜いていきたかっただけなんです・・・
2008.9.9 このサーバーを借りた よく覚えていないが、この日に現在のこのサーバーを借りた。 その前に別の無料サーバーで「赤の36」というサイトを作ってみたが、やりたいことが定まらずうまくいかなかった。 8月半ばごろにコミティアに参加することを決め、それで必要を感じて借りたのかもしれないが、それから数年、工事中のままで突き進むことになった・・・。 サイト名は最初は「D or D」だった。「Draw or Die」で、「描け、さもなくば死ね!!」という意味だった。 indexではなくenterにトップを置き、漫画用と絵本用のindexをそれぞれ別に持つ構造は最初から決めていた。 この構造は、いつか漫画のほうで成人向けを描くことになったときのためのワンクッション、保険です。